近年、日本版デジタルノマドビザの導入や万博開催の影響により、訪日外国人による中長期滞在ニーズは今後ますます高まると予想されています。 欧米では、家具・家電付きの賃貸物件(サービスアパートメント)が広く普及しており、数カ月単位で滞在先を移動するライフスタイル、いわゆる「フレキシブルリビング」は日本よりもはるかに浸透しているといえます。一方日本では、コロナ禍以降にリモートワークをはじめとした働き方の多様化が進み、サービスアパートメントが徐々に浸透し始めています。 今回は、そんな “ フレキシブルリビングカルチャー ” の先駆けとして、2005年からグローバルエージェンツの創業期を支えた田中渓さんにお話しを伺いました。20年にわたり、シェアハウス、アセットマネジメントと様々な観点から不動産に携わられた田中さんの考える、「フレキシブルリビング」の未来についてお話いただきました。 ー海外のカルチャーを持ち込み、日本のコミュニティを大変革したフレキシブルリビング 田中さんは大学在学中であった2005年に、フレキシブルリビングの先駆けであるグローバルエージェンツに参画されています。当時感じていたフレキシブルリビングに関する課題感について教えていただきたいです。 当時は20年前で、今とは全然違い ”シェアハウス” という言葉が一般的ではありませんでした。知っていたとしても「狭いスペースに複数人で共同生活」といった、決して良くない印象。また外国人にとっては、たとえ英会話講師のような社会的にステータスのある職業に就いていても外国籍というだけで信用されない、そういった課題がありました。 一方で、 ”シェアハウス” のニーズは確実に存在していました。「外国人が快適に暮らせる場所」という側面だけでなく、当時ちょうどSNSの黎明期ということもあり、意識の高い大学生や若手社会人の中には、「人とつながりたい」「コミュニティを持ちたい」という意識が強い層がいました。 さらに当時の就職活動は情報の透明性がなく、大手就活サイト以外に頼れる情報源も乏しかった。そのため特に外資系企業や商社、広告会社など、難関業界を目指す日本の学生たちは、実際に働いている先輩たちとの接点を欲していました。そして社会人側もまた、優秀な学生と出会いたいというニーズが高まりを見せていました。つまり供給側にも需要側にも、コミュニティ形成への期待が高まっていたのです。 そのような背景が、グローバルエージェンツ創業につながるのでしょうか。 はい。もうひとつ、のちのグローバルエージェンツの創業者がロンドンへ渡航した時の経験も相まって創業に至りました。現地ではシェアハウスがすでに一般化していた。そこで、彼が「これは日本にもあるべきだ」と感じたことが創業のきっかけです。 日本でやるのであれば、圧倒的に良いものをつくりたい―。そんな思いから「プライベート空間は必要最小限に、共用部は極限までラグジュアリーに」というコンセプトが生まれました。コミュニティを求める人々は、むしろ部屋の外で過ごす時間や、誰かと関わる時間にこそ価値を感じているのではないかと仮説を立てたのです。 そこで家賃は、一人暮らしよりも1割ほど安く設定しつつ、共用部には、シアタールーム、ミュージックルーム、ビリヤード台、ダンススタジオなどタワーマンションのような設備を整えました。家具も当時は画期的だった無印良品の家具など、一人暮らしの大学生には高価なものも取り入れました。 創業初期はどのようなユーザー層だったのでしょう。想定ターゲットの外国人、日本人の学生、社会人のミドルアッパー層など、どのような構成でしたか? 当初の想定は「外国人が約半数、若手社会人が3割、学生が2割程度」でした。しかし実際に募集を開始すると「20代後半の若手社会人が6割、学生が2割、外国人が2割」という構成で、外国人の多くは中国、韓国、タイなどアジア圏の方々。パイロット案件にもかかわらず当初の予想を超える反響があり、結果として倍率は約66倍、即日満室になりました。 ー 信用、経験、知識を得て、自ら資本を生み出していかなければ不動産マーケットに入っていくのは難しい 時代を捉えたフレキシブルリビング事業から、ゴールドマンサックス証券に入社されました。ノンオペレーションの物件も扱うようになる中で、不動産や暮らしに対する考え方に変化はありましたか? このビジネスを始めて最初に直面したのは、不動産がキャピタルマーケットの中心に位置しているということ。不動産は文字通り「物ベース」の資産であり、所有権を得るためには確たるキャピタルが必要です。私たちは企画とオペレーションの力を持っていましたが、キャピタルがなければオーナーに受け入れてもらうのは難しくスケールできなかった。 そこで、自らキャピタルマーケットに飛び込み、資本市場のレバレッジや不動産のキャッシュフローで評価されるということを一から学びました。「肩書き、経験、知識をちゃんと得て、自ら資本を生み出していかなければ、このマーケットに入っていくのは難しい」というのが20年前の世界でした。 それでもプロマーケットに入って痛感したのは、レジデンスやテナントが入居すれば長期間安定したキャッシュフローが得られるノンオペレーションのアセットと、コリビングやシェアハウスは大きく異なることです。 後者は回転率が高く、細やかなオペレーションが求められるため、ホテルに近いアセットクラスとして認知されていました。それでいて、ホテルのようにレートが急激に上がるわけでもなく、物件の規模も比較的小さい。例えば、ホテルのトランザクションが数千億円規模というものもある中で、コリビングは数十億円程度にとどまります。 このように、マーケットへのインパクトやオペレーショナルアセットとしての難しさを感じる一方で、きちんと運営すればキャッシュフローのアップサイドも十分期待できるアセットであるという感触がありました。さらに時代の流れも徐々にそちらに向かっている。 大局的な視点や経済の流れを肌で感じられたことは、ゴールドマンサックス証券で資本市場の中心にいたからこその経験だったと思います。 (インタビュー後編につづく) プロフィール|田中 渓 1982年 横浜出身。 上智大学 理工学部物理学科卒業。学科首席として同大学院に進学。 外資系の世界を目指し急遽渡米。 ビジネスセミナー「CVS Leadership Institute」に参加し個人優勝、チーム優勝を果たす。 大学院中退後53回の面接を経て、ゴールドマン・サックス証券株式会社に2007年に新卒入社。 ドラマ「ハゲタカ」の舞台になった投資部門であらゆる投資を行う。 500件以上の投資案件に携わり、60件以上の投資案件を実行。 投資規模は投資金額ベースで約4000億円、企業価値・資産価値ベースで1.2兆円を超える。 同社でマネージング・ディレクターに就任、投資部門の日本共同統括を務め、2024年に同社を退社。在籍17年間で20カ国以上の社内外300人を超える「億円」資産家、「兆円」資産家、産油国の王族など超富豪などと協業・交流をする中で、富裕層の哲学や思考、習慣などに触れ、その生態系を学ぶ。 現在は、数千億を運用するより少数精鋭の投資会社にて不動産投資責任者を務める。 私生活では365日朝3時45分に起床する生活を6年以上続け、毎日25kmランニング、60kmの自転車、7000mのスイムのいずれかをこなし、強靱な肉体と精神力、一生の財産にもなる「習慣化」の力を手に入れる。 ナミブ砂漠250kmマラソンでチーム戦世界一になる。 トレイルランニングレースの世界選手権UTMB完走、アイアンマンレースと呼ばれるトライアスロンにおいても世界大会にノミネート 2024年11月自身の著書「億までの人 億からの人」を徳間書店より出版。